グループブランド

ホリグチグループのあゆみ

江戸時代の初めに、
金物商「堀口商店」として創業

江戸時代初頭の1629年(寛永6年)、群馬県渋川市において金物商「堀口商店」として創業したのが始まりです。1850年(安政時代)~1872年(明治5年)にかけ、当時上州地方に流通していた貨幣である上州鉛銭は、弊社の先祖である堀口吉右衛門が鋳造をしていました。
以来、地元地域でマルホンの屋号で親しまれ、明治から大正にかけては、家庭金物を始め工具、陶磁器類など、取扱い商品を多様化して発展。昭和に入ると、戦前はセメント鋼材など生産資材の小売を開始し、戦後は度量衡、高圧ガス、溶材といった部門の営業を加えて1949年(昭和24年)に「株式会社堀口商店」となりました。

上州鉛銭コラム

江戸時代の末期には、小額通貨の不足を補うために「鉛切手銭」と呼ばれるものが発行されていました。ここ群馬県においても、渋川市を中心とした地域の商家が釣銭の代わりに任意に発行していたようです。発行していた商家として、渋川市の堀口家と吉田家、外丸家、旧北橘村の今井家、旧子持村の宮下家と植田家、旧吾妻町の山口家の鉛銭が現在に残されています。

事業部門の積極的な分社独立で、事業の拡大を図る

戦後を迎えると、事業活動が活発化していきます。1953年(昭和28年)高圧ガス部門が分離独立し、株式会社関東酸素工業所(現在の「カンサン株式会社」)として発足。同じく溶材部門も、太田市に株式会社関東酸素商事(後の「株式会社マルホン太田支店」)、高崎市に株式会社マルホン(後の「株式会社マルホン本社・高崎支店」)、渋川市に「関東アセチレン工業株式会社」として各々独立しました。
さらに1968年(昭和43年)には、現在の地に事務所、倉庫、工場を新設して、鋼材、建材、機工、ガス・プロパン、鉄筋の5部門の営業所を統括。商事部門を「互亨商事株式会社」(現在の「ゴコウ株式会社」)として分離独立させました。

経済の高度成長期をとらえ、
積極的な事業展開を継続

昭和50年代に入っても、積極的な事業展開が続きます。1976年(昭和51年)には、鋼材部門の充実を図り、鋼材倉庫を建設するとともに、生コン部門を分離させ、新たに「光菱生コンクリート株式会社」を設立。加えて、長野地区における溶材関係の販売拠点として、長野酸素株式会社(現在の「株式会社マルホン長野支店」)を設立しました。
その後も、長年にわたる伝統と信用をもってさらなる事業の専業化を行い、1986年(昭和61年)には前橋出張所を設立し、プロパン係を「株式会社ホームガスセンターマルホン」として新築移転。翌年には、新たに医療部門として前橋にメディカルガス課本部を設立しました。

21世紀を見据えて、
CI制定など大幅なイメージ改革を断行

平成に入ると1993年(平成5年)、21世紀に向けた新たなるスタートとして、長年親しまれてきた社名を「株式会社堀口商店」から「株式会社ホリグチ」と改称。新しくCIの制定など、大幅なイメージ改革を行いました。
また、これを機にガス部、機工課、メディカルガス課の3部門を新たに分離独立させ、高崎市の株式会社マルホン高崎支店と合併して「株式会社マルホン」を設立。高崎市に本社を置き、渋川市中村に新社屋・倉庫を完成し、渋川支店とするとともに、株式会社マルホン高崎支店のプロパン部門を分社し、株式会社ホームガスセンターマルホン前橋店・渋川店・高崎店を合併し、プロパン部門を専業化。1994年(平成6年)には、2本部6部10課の営業本部制を導入しました。

ミレニアムの2000年に、元の本社社屋が登録有形文化財に

1995年(平成7年)には、モバイル事業部を発足し、ドコモショップ渋川店を開店。また、社員の福利厚生施設を兼ね、金島温泉「富貴の湯」を開業しました。翌1996年(平成8年)、光菱生コンクリート株式会社の新プラントを完成。ミレニアムとなった2000年(平成12年)には、元本社(上ノ町社長自宅)が登録有形文化財として登録され、後世に伝え残すことになりました。
そして21世紀に入った2002年(平成16年)には、鋼材部の付加価値を高めるため、鋼材加工部門として、「有限会社ハルナスチール」設立するとともに、モバイル事業部の拡充を図り、ドコモスポットあがつま店を開店。さらに翌年には、鋼材第3新倉庫を完成し、さらなる飛躍を期すことになりました。